こんにちは。都筑区の放課後等デイサービスFORTUNAです。
ひょんなことから、昔の吉野家の話を思い出したのですが、私も長く生きているもので、多くの変わった経験、悪さをした経験など思い出したら書き切れないぐらいやってきたんだなあとつくづく思いました。
ということで牛丼話が続いたので、今度は餃子の王将での出来事をお話しします。これも療育とは全く関係ないので、真面目にお読み頂く必要はありません。あしからず。
さて、この話も今から40年ぐらい大昔の前、私の高校生時代の話です。
私が通っていた学校は文武両道を目標とする高校(男子校)でした。
ただ40年前の男子校です。今では完全に虐待だと問題になるぐらいの厳しい指導は日常茶飯事でした。(笑)
そんな厳しい学校生活に親しみを持つ余裕など全くなく、スポーツと学業とを両立させることに必死で取り組んでいたように思います。
さてそんなこんなの高校生活。自分は他のチームメイトとクラスが違ったため、一時限授業時間が長く、授業が終わるとグランドが改築のために使えないこともあって、4~5Km離れた仮設グランドに一人鞄を抱え毎日走って練習に参加していました。(バスを待っていると時間が掛かり顧問の先生からこっぴどく叱られ、レギュラーから外される可能性があるのでビビって走っていました)
練習が終わりバスに乗って帰宅するのが、大体が夜の9時頃でそこでようやく晩ご飯が食べることができるという毎日でした。(最初のころは家に着くなり倒れ込んで、玄関で食事を摂っていたこともありました)そのあと、風呂に入り、宿題に予習、復習と寝るのはだいたい午前1時ぐらい。非常に濃い1日を過ごしていました。
しかし、こんなハードな生活(特に練習後はお腹が空いてたまりません)を送っているとついつい誘惑に負けてしまいます。友だちと一緒に帰っていると「帰りに王将で飯食ってから、帰ろうや」という話になってしまうことも多々ありました。
その当時は、校則で買い食いは厳禁で、もし先生に見つかったら次の日の朝一で体育教官室に呼び出され、そのあとは地獄が待っていました。(笑)
高校生ですから小遣いも月に2千円ぐらいしかもらえなかったので、当時は学生の味方である王将に行くのすらも贅沢でした。(皆さんご存じかどうかわかりませんが、今でこそ王将の餃子は中央の工場で一括して作られて、各店舗に運ばれて焼いているようですが、昔は各店舗で、従業員の手が空いたときに、ボール内で餡作りをして器用に皮で包むという手作業で餃子が作られていたんですよ)
食べ盛りの高校生。それも地獄の練習の後なので空腹で仕方がありません。しかし、お金もありません。そんなとき偶然に幸運な出来事が起こりました。そこから友だちと悪巧みを思いついてしまいます。
その幸運なこととは、ある日、チームメイトと王将を訪れた時のことです。よく行く王将の店長さんは日頃から私たちのチームを応援してくれていましたので、いろいろと面白い話を聞かせてくれ、元気づけてくれていました。店長さんが若い頃の話などを熱く夢中になって語ってくれていたのですが、ある日、話に華が咲きすぎて餃子が焦げてしまったことがありました。
「うわ!やってしもた。餃子が焦げてしまったけど食べるか?」と聞かれ、大して焦げてもいないのにと思いながら、「食べます」と答えると、「了解。じゃ、餃子はただにしとくわ」と言われたのです。恥ずかしながら頼んでいたのは、餃子6人前と白飯の大(友だちと二人で)のみです。支払いは大ご飯だけで済んだのです。超ラッキーと思いました。
帰りのバスの中で「餃子、全然焦げてないのにタダにしてもらってラッキーやったよな」と友だちと話をしながら、これいけるかもと恐ろしい計画を思いついてしまいました。
皆さんもうおわかりだと思います。お話し作戦です。店長さんに餃子を焼いていることを忘れさすぐらい話しをすれば、また餃子が焦げてタダで食べることが出来るという作戦です。
その作戦は見事に的中。2回ぐらいは成功しました。しかし、相手は大人で気持ちの優しい店長さんです。
何回目かは忘れましたが、すぐに焦げ餃子作戦はバレていました。店長さんから「おまえら、腹減ってるけどお金がないと正直に言えばいいやん」と諭されました。その後はいつも格安で色々なものをつくってくれました。
しかし、そんな幸せな日々も長くは続きませんでした。
王将に入る姿を体育の先生に見られてしまったのです。
次の日の朝一に全校放送で自分と友だちが体育教官室に呼び出されました。そのあとのことはご想像にお任せします。
くだらない長文を読んで頂きありがとうございました。
店長さんの優しさに触れ、感謝の気持ちをもつことの大切さを教えていただいた高校生活の一コマでした。
放課後等デイサービス FORTUNA
校長