都筑区放課後等デイサービスFORTUNA       今牛若丸

こんにちは。都筑区の放課後等デイサービスFORTUNAです。

 

春が来るかと思いきや、ここ数日の夜の冷え込みはかなり厳しいものとなっています。

 

この気温の変化に身体がなかなかついてこないと思われている方も多いと思います。わたしもその一人です。

 

さて、阪神タイガースを全国制覇に導いた吉田義男元監督が先日逝去されました。

 

吉田元監督は、父親が吉田元監督と高校の同級生で家が近所ということもあり、私が幼かったときによく家に遊びに来られていました。

 

最後に来られたのは、私が中学生の頃でした。私は野球をやっていなかったので、偉大なプロ野球選手の吉田元監督のことをあまり知らず、失礼な話、「こんにちは」程度の挨拶しかしていませんでしたし、元監督を普通に「吉田さん」とか「吉田のオッチャン」と呼んでいました。

 

遊びに来られていたある日、「ぼん。ちょっとおいで」と呼ばれました。そして「プロ野球はどこのファンなんや?」と聞かれました。

*「ぼん」とは、京都では男の子を指す言葉で使われることがあります。

 

その当時、巨人には長島選手や王選手といったスター選手がたくさんおられ、巨人最強伝説真っ只中だったので、私を含め巨人ファンが凄く多くいました。私は何も考えずに阪神の名選手に向かって「巨人ファンやけど」と言ってしまいました。

 

その瞬間、父親からえらく怒られましたが、吉田さんは「あはは!そうか巨人ファンか。誰のファンや?」と大笑いしながら聞いてくれました。

 

「長島と王や」というと、「長島と王やな。わかった」とニコニコしながら答えてくださり、父親からは「向こうへ行ってろ」と言われ、その場を去りました。

 

それから暫くして、家に長島選手と王選手の直筆のサインと後にV9戦士といわれた9人の打順どおりのメンバーのサインが届きました。

 

母親が「大変やー」と叫んでいたので、何事かと見に行くと、テーブルの上にそのサインがあって、「ぼんへ」と書いてあるのをみて私も驚きました。

 

そのサインは今でも家宝として大切に保管してあります。

 

それから30年くらい経過し、私は関西でスポーツ関係の仕事をしていた頃の話です。ひょんなことから高知県の安芸市で行われていた阪神タイガースの春期キャンプを訪問する機会がありました。その時に臨時コーチとして吉田さんが来られているのを偶然知ったので、ご挨拶や若かりし日の無礼をお詫びするチャンスと考えて阪神タイガースの広報の方にお会いできないかと尋ねました。

 

当然、広報の方は「こいつは誰?」ということになるのですが、どうしてもご挨拶したいという思いが強く、取りあえず名前を伝えて欲しいとお願いしました。

 

訝しげな顔をしながら、「取りあえず伝えるけれども、会えないと思いますよ」と言われ、ここで待つように指示され、球場の1塁側のスタンドの最前列で待っていました。

 

待つこと5分。いきなりグランドから「ぼん!」という声が聞こえました。気がつけば直立不動でお辞儀をしている自分がいました。そして「降りておいで」と手招きされたのと同時ぐらいに先程の広報の人が先程とは全く違う笑顔で「こちらへどうぞ」と案内をしてくれました。

 

グランドに降りた私を、「ぼん。オッサンになったなあ」と昔のまんまのニコニコ笑顔で迎えてくれました。父はだいぶ前に他界していたので、「父ちゃんの葬式以来だなあ。元気にしとったか」と声もかけていただき「父の葬儀の際は、来て頂きありがとうございました」というのが精一杯でした。

 

「ぼん。今日は高知に泊まるのか?」と聞かれ、ホテル名を伝えると偶然同じホテルだったので、「だったら晩ご飯一緒に食べようや」とお誘いを受け、有り難く承りました。

 

「ぼんはサッカーしとったよな。興味がないかもしれないが、何かの役に立つかもしれんし、プロ野球のキャンプを間近で見ることもあまりないだろうから、見ていったらいいよ」と特別の許可をいただき、「この人が一緒について説明してくれるよ」と阪神の名捕手の木戸さんを呼んでくださり、集合場所と時間を決め「じゃ、またあとで」と手を振って練習に戻られました。

 

そのあとは、木戸さんに色々と教えて貰いながら、選手達の練習を見学させて頂いたのですが、何よりも、サッカー選手とは違う体型、特にお尻の大きさや腰の太さに驚きました。

キャンプなので有名な選手もたくさんいたはずなんですが、邪魔にならないように緊張して全く覚えていません。

 

その後、木戸さんとは意気投合し、後日、大阪で飲みに行く約束をして球場を後にしました。(その様子は別の機会に)

 

その晩は、吉田さんとの食事会で自分の心にずっと引っかかっていた無礼をお詫びしたのですが、「そんなこと、何にも気にしてないよ。そんなこと気にしてたん?」とニコニコ笑顔で答えてもらい、安心したのをよく覚えています。

 

そのあとお会いすることは出来なかったのですが、安芸のキャンプで自分なりのけじめをつけることが出来てよかったと思います。

 

食事をしながら色々なお話しを聞いているとやはり名選手は人格者だなあとつくづく思いました。今牛若丸と呼ばれ、走攻守の三つが揃った名選手であり、阪神タイガースを日本一に導き、その後フランスナショナルチームの監督も務められ、ムッシュと呼ばれた吉田義男元監督との偶然の繋がりをもてたことを亡き父親に感謝し、吉田のオッチャンのご冥福を心よりお祈りいたします。

 

因みに阪神タイガースにおいて、吉田さんのつけておられた23番は永久欠番になっています。

 

 

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