都筑区放課後等デイサービス FORTUNA スロバキア

こんにちは。放課後等デイサービス FORTUNA です。

今回は療育とは関係ない話です。

ロシアとウクライナの戦争は今のところ悪化の一途を辿り、泥沼化しそうな感じです。ウクライナの悲惨な状況が映像で流れるのを見ていると、「なぜこのような惨いことが2022年にもなって行われているのか」理解ができません。

また、ロシア軍にも多大な被害が出ているようです。ロシア軍の兵士のご両親なども心を痛めておられることでしょう。

1日でも早く、世界中に平和が訪れることを願わずにはいられません。

今回のウクライナの避難民の少年が1人で1000km以上かけてスロバキアに入国したことが話題に上がっていました。
凄いことだと思います。

そのニュースをみて私が世界を旅していたときのことを思い出しました。あまりに長すぎるので今回はスロバキア編として書きます。

私にはスロバキアに友人(スロバキア人です)がいたので、オーストリアのウィーンから陸路、夜行バスでスロバキアに向かいました。
夜行バスだったので、ウィーンを出たのは夜の8時か9時ぐらいだったと思います。その当時スロバキアはEU(昔はEC)に加盟していなかったので、ビザが必要でした。ビザに関してはおりていたので何の心配もしていなかったのですが、時期は真冬の12月。外気温は-20℃にもなっているうえに、バスはボロボロ。ヒーター(AC)なんてありません。「さむ!」と思いながらバスに乗っていたのですが、周りの人は慣れているのか普通にしています。というか、ちらちら私のほうをみんなが視線を投げかけてくるのが嫌な感じでした。(このバスに乗っている人のほとんどがスロバキアからオーストリアに働きに出かけている人で、このくそ寒いのにジーパンにダウンジャケットにボストンバッグの人間なんて私一人です。その上、顔は西洋人とは違うので、恐らく「こいつは何者だ?」という視線だったのでしょう)

ジロジロ見られていることに、「何か用?」ぐらいの気持ちをもち途中で眠ってしまいました。バスが停車をしたので、もう着いたのかと外をみると、なにやら映画で見たことのあるような白い踏切が見えました。オーストリアとスロバキアの国境だったのです。

「ほう。もう国境か。あと少しだな」と訳のわからないことを考え、バスが動くのを座って待っていました。

ここは日本ではないことをすっかり忘れてました。

バスのドアが開き、国境警備の兵士たちが3名、ドカドカと乗り込んできて戦闘の兵士が大きな声で何かを叫んでいます。明らかに英語ではありません。「何を言ってるんだろう?」と思いながら周りをみていると、みなさんパスポートなのかIDカードなのかわかりませんが、それを見せています。「じゃ、私も」と思って兵士のほうを見た瞬間、目が合ってしまいました。彼は一目散に私のほうに向かってきます。(バスの左後方に座っていました)

凄い形相です。「おいおい!俺が何をした」と思いながら、彼をもう一度見た瞬間、身体が凍り付きました。なんと自動小銃を手にかけながら向かってきていたのです。周りの人たちとは恐らく顔見知りなのでしょう。見向きもせずに突っ込んできたのです。今思えば、バスに訳のわからない若者が一人座っていたら怪しまれるのも当然です。

スロバキア語は全くわからなかったので日本語で受け答え。通じるはずもありません。とりあえず、私は怪しくない。日本人だけを連呼し、銃は下ろしてもらい、パスポートをみせたところようやく、ただの旅行者だと信じてもらえました。

びびりながらも無事検問所を通過し、スロバキアの首都であるブラティスラバのバスターミナルに到着しました。時間は午前0時。-20℃は遙かに超える寒さで身体が固まりそうです。

早く友だちに迎えにきてもらわなければ・・・

公衆電話に向かいます。(その当時スマホどころか携帯電話はありません)

小銭を入れてダイアルするのですが、お金がチャリンと戻ってばかり。「なに!壊れてるの?」と公衆電話を叩いていると若い英語が出来るカップルが「どうしたの?」と声をかけてくれました。「いや。この公衆電話壊れてて、困っている」と伝えたところ、彼も一緒になって電話が掛けられるように何回もチャレンジしてくれました。

しかし、彼が突然叫びました。

「これ、スロバキアの硬貨じゃねーじゃん。電話が掛かるわけないやん(カップル笑)」

私「へえ、そうなん。そうだよね(苦笑い)」「そっか。スロバキアの公衆電話だからスロバキアの硬貨しか使えない?」(日本の公衆電話に日本硬貨の10円を入れずに1セントとかをいれてるようなものだったのです)「え?午前1時に両替所なんて開いてないよな」=「電話掛けられない。友だちの家もわからない。言葉もわからない」これは非常事態です。

こんな寒いところにひとりぼっちてか。(事前にスロバキアに行くことは友人には伝えていなかったので私がブラティスラバにいることなど夢にも思っていません)

どうしたらいいのか?午前1時の人気が徐々になくなっていくバスターミナル。-20℃のバスターミナル(待合所はすでに鍵が掛かっていて中には入れません)おまけにスロバキアは当時非常に貧しい国だったので、電気もろくについていなく、ほぼ真っ暗で、コーラの自動販売機の僅かな光だけがポツンと輝いているバスターミナルに一人とり残されてしまいました。

夜行バスも到着する本数がドンドン減っていき、人はほとんど見当たりません。

これは、マジで大ピンチです。

ここからどうやって生き延びたかは、また機会があればお話します。



何より早く戦争が終わり、世界中に平和な日々が訪れて欲しいと思います。

放課後等デイサービス FORTUNA